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| ::下巻(2) :: |
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| 【入間川陣屋での場面】 |
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其後水練を入、大網をおろし佐殿 十三人の首もとめ出し酒にひたし江戸・竹沢五百余騎にて武州入間河基氏の陣へぞはせまいる。畠山入道ななめならず悦て、小俣少輔次郎・松田河村をめしてみせければ疑もなく兵衛佐殿にておはします。 |
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この三四年先数日相馴(なれ)奉りし事も申出し皆涙をながしければ心なきますらをも鎧の袖をぞぬらしける。江戸竹沢は忠功抜群なりとて恩賞数ヶ所給はりぬ。弓矢の面目かなと羨(ねた)む人もあり、又怯(よわ)き男のしわざかなとつまはじきしてにくむ人も多かり。竹沢はなをも謀叛(むほん)与党の者を尋ねむとて入間の陣とどめをく。
江戸二人は暇給り恩賞の地へぞ下されける。 |
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| 【江戸遠江守、矢口の渡にて義興公の怨霊の祟りを蒙る場面】 |
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二人喜悦の眉をひらき入間の陣を退出し10月23日の暮程に矢口の渡に着て渡里の船をぞまちゐたり。過にし十日のみをぬきたる水手二人江戸が恩賞給り下ると聞て、種々の酒肴を用意し、おのれも恩賞に預からんと、迎の船をぞ出しける。この船すでに河中を過る時天俄にかき曇り雨篠をたばねてふり、風波はげしく吹漲(ぶきみなぎり)て白浪船を漂(ただよわ)す。 渡守あはて騒で急ぎこぎもどさんと櫓をおして船をなをさんとしけるが、さかまく浪にうちかへされて水手梶取一人も残らず皆水底にぞ沈ける。天の怒ただ事にあらず。是はいかさま、義興の怨霊ならむと江戸遠江守大きにおそれおののきて川端より引返し二十余町川上の瀬へ馬をはやめて打けるに、電行先にひらめいて雷大きになりはためく。人家は遠し日は暮ぬ。只今雷神にけころされぬと思ひければ、御たすけ候へ兵衛佐殿と手をあわせ、虚空(こくう)を拝てにげたりける。 |
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| とある山の麓なる辻堂を目にかけて馬をあおりける所に、黒雲一むら江戸が頭の上に落さかり雷電耳の辺りに鳴ひらめきける。余りのおそろしさに、うしろをきつとかへり見たれば、新田左兵衛佐義興ひおどしの鎧に龍かしらの五枚かぶとの緒(お)をしめ白栗毛なる馬の額に角おいたるに乗り、あひの鞭(むち)をしとどうちて、江戸を弓手の物になし、鐙(あぶみ)のはなに落さかり、わたり七寸ばかりなるかりまたをもつて、かひかねより乳の下へかけずぶつと射洞さると思ひて江戸馬よりさかさまに落ちたりけるが、やがて血をはきもだゑたえ入りけるを輿にのせて江戸が門へ舁(かつぎ)つけたれば、七日が間足手をあがき水に溺(おぼれ)たるまねをして、あらたへがたや是たすけよとさけび死にぞ死にけり。 |
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| 【畠山入道の入間川の陣中、在家等一時に雷火にかかる場面】 |
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其翌の夜入間河には、畠山大夫入道か夢に黒雲の上に太鼓をうちて鯨波(げいは)の声聞ゆ。なに者のよせ来るやらんとあやしくて音する方を遥に見やりたれば、新田佐兵衛佐義興たけ二丈(じょう)ばかりの鬼になりて牛頭馬頭(こづめづ)異類異形の物十余人前後に随へ火の車を引て左馬頭のおはする陣中へ入るとおぼへて胸打騒で夢さめぬ。
入道夙(つと)におきて、かかるふしぎの夢を見たりと語りもおはらぬ間に。俄に雷火落かかり入間川の在家百余宇、堂舎仏閣数十ヶ所、一時の灰燼とぞなりにける。
其後畠山は康安元年11月諸士千余人道誓が罪悪をうたゑて其氏より畠山をせめられしかば、謀反して伊豆の修禅寺にこもりたりしが、関東にもたまりえず貞治3年ひそかに河内国へおもむき南朝へ降参せむと、楠を頼みたれども、許容なきにより遂に流浪して死たりける。 |
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| 【義興公を一社の神に祀り、墳墓を築き、新田大明神として崇め奉る場面】 |
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矢口の渡には夜な夜なひかり物出来て往来の人をなやます。野人村老あつまりて義興の亡霊を一社の神に祭り奉り墳墓をきづき、竹樹を植、新田大明神と名付祟(あがめ)奉る。されば其辺に立よる人は忽(たちまち)神の御たたりあれば、神職は申に及はず、里人も近かより侍らず、おそれつつしむ御やしろなり。実是(じつにこれ)後光厳院延文3年(1358年)戊戌10月初て祭り奉る。
後世又正月10日一年ふたたびの祭礼おこたらず。されば冤結(えんけつ)のたたりをなす事本朝の古へ延暦(えんりゃく)の早良(さわら)太子、延喜(えんぎ)の菅亟相(くわんしょうじょう)、そのためしすくなからず。もろこしにては鄭(てい)の良宵(りょうしょう)、斉の彭生(はうせい)、漢の灌夫(くわんふ)其類かぞふべからず。於乎(ああ)神は人の崇敬によりて威をまし人は至誠の感通をもって神の加護を添ふ。千載弓矢取人誰か是を敬せざらんや。誰かまた信奉せざらんや。 |
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