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| ::下巻(1) :: |
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| 【竹沢、畠山入道に義興謀略を進言する場面】 |
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| 竹沢つくづくと思案し、我力にては討奉る事なるまじきとおもひ、畠山が方へ使をもって佐殿の御在所はよく存候へ共、小勢にてはうちもらし候べし急ぎ一族にて候江戸遠江守同下野守をさしこされ候はば共に評定して討奉らむとぞ申ける。 |
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| 入道大きに悦びて、遠江守と其甥下野守をぞつかはしける。其ままにては佐殿疑給ふべしと、姦謀(かんぼう)をめぐらし二人の所領稲毛の庄十二郷を闕所しければ、稲毛に城郭をかまへ一族以下兵五百余騎まねきあつめて、入道にむかいて一矢射て討死せんとぞ、ののしりける。程へて遠江守ひそかに竹沢をもって佐殿へ申入けるは、所領の地を畠山に没収せられ伯父甥牢落(らうらく)の身と成ぬるうへは、鎌倉殿御陣に向ひ入道に一矢射候べし。 |
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| 佐殿を大将とあふぎ奉りて勢をつけ候べしと忍びて鎌倉へ御越候へ。当家の一族鎌倉中に二三千騎はこれ有べし其勢を以て相模国を打随へ東八ヶ国をなびけ天下をもくつがへす謀をめぐらし候はんこと、いとたやすげにこそ申入たりけれ。 |
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| 兵衛佐殿も竹沢が執(とり)し申事なれば、たばかりて云ふとは思給はず、いとたのもしくおぼされて内々武蔵・上野・常陸・下総の間に御味方に志を通はす兵ともにふれつかはし、やがて出たたんとぞし給ひける。 |
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| 【義興公主従の多摩川矢口の渡での自刃の場面】 |
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延文3年10月10日の暁( あかつき) 兵衛佐殿忍びて先鎌倉へとぞ急れける。江戸・竹沢・矢口の渡の船底を二所ゑりぬきてのみをさし、渡の向ひの岸には前の宵より江戸遠江守同下野守三百余騎木陰(こかげ)岩間(いわま)に臥(ふし)かくれて余る所あらば打とどめむと用意す。此方の岸かげには竹沢究竟の射手百五十人遠矢に射ころさんとぞ、たくみける。忍びの御事なれば大勢の御供はいかがとて郎従どもをばかねてより、ぬけぬけに鎌倉へつかはしけり。
世良田右馬助・井弾正・大嶋周防守・土肥三郎左衛門・市河五郎・由良兵庫助・同新左衛門慰・南瀬口六郎・僅(わずかに)に十三人、のみをさしたる船にのり矢口の渡をおしいだす。もろこしの古へ漢水をわたりしためしもかくやと、しられてあわれなり。 |
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抑(そもそも)この渡りと申は、おもて四町に余て浪みなぎりて底ふかし。船中流にいたりて渡守櫓(ろ)を取はづしたるやうにて河におとし、ふたつつみを一時にぬき二人の水手(かこ)は水に飛入て水底をくぐりてにげさりぬ。前後の両岸よりときをつくり、ゑびらをたたきて、たばかり申はしろしめさで、おろかなる人人のこのありさまを見よやとて、一度にどつとぞ笑ける。
水さらさらと湧入て腰の程に及ぶ時、井弾正・兵衛佐殿をいだき奉りさしあげければ、日本一の姦賊(かんぞく)無道人にたばかられけるこそむねんなれ。悪鬼となりて汝等がために怨をむくふべしと。大きに怒り腰のかたなをぬき左の脇より右のあばらぼねまで、かきめぐらし二刀まで切給ふ。井弾正は腸を引きりて河中へなげ入おのれが喉ぶゑ二所さし切て自らつかをつかみ首をうしろへおりつくる音二町ばかりぞ聞えける。 |
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| 世良田右馬助・大嶋周防守は二人刀を柄(つか)口までさしちがゑて引組で河へ飛入。由良兵庫助・同新左衛門慰は船のともへに立あがり刀を逆手に取なをし、たがひにおのれが首を掻きおとす。土肥三郎左衛門・南瀬口六郎・市河五郎三人はおのおの袴の腰引ちぎり裸程になり、太刀を口にくわゑ河中へ飛入けるが、水底をくぐり向の岸へかけあがり敵三百騎の中へかけ入、半時ばかり切あひ敵五人打とり十三人に手おおせ同じ枕にうたれけり。 |
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